孤独の先
日曜日の演奏会が終わりましたが、余韻に浸る間もなく、
溜まっていた集金業務があったので、
3日間、朝から晩まで集金しまくって、今日で終わらせました。
このお仕事、月末は忙しくなりますが、自分のペースで動けて、
時間に縛られることもないので、ストレスはありません。
ただ、初めのうちは初対面の方のお宅を調べてピンポンするという、
私のような方向音痴で小心者には、苦痛と恐怖を伴うものでした。
しかも、新聞代というお金を取り立てているのです。
時給制ではなく、完全出来高制で、何度訪問しても集金できなければ収入0だし、
最後に集めた金額が合わなければ、自腹で補填します。
雨の日も、風の日も、暑い日も、寒い日も、
誰に強制されたわけでなくとも、自転車で一軒づつまわり続けます。
できれば早く辞めたい〜と思いながらも、
なんで口座振替にしないんだよ、とか思いながらも、
なんだかんだで半年続いて、だいぶ慣れてきました。
やっていると私のようなものでも、お客様に認知されて、
計算も落ち着いて、つり銭の小銭もスムーズに出せるようになり、
社交辞令のご挨拶も、だんだん余裕を持ってできるようになり、
お客様とのコミュニケーションも取れるようになるものですね。
な〜んだ私、接客業もOKじゃん。
凹むこともあるけど、人間大好き!早くお客様に会いにゆきたい♡
と、ごくたまに思えるようになり(!?)すごい進歩です。
集金していると、わずかな間でも、その方の人となりが見えて、
いろんな人のさまざまな人生模様が、垣間見えてきます。
そんな中、今日は悲しい出来事がありました。
私の2番目のブログで「インターホンが怖い」を書きましたが、
友達付き合いでイヤイヤ新聞を取っている、というお方だったので、
明るいうちに集金に伺おうと、インターホンを押しますが、反応なし。
お留守か…、と立ち去ろうとすると、
斜向かいで、道路を掃いていた奥さまが、
「そのお宅、もう2週間もシャッター閉まったままよ。
先週、救急車が来たけど、帰る時は無音だったの・・・
最後にお見かけした時、具合悪そうにしていらしたわ。
あの方、一人暮らしで、身寄りがないみたいで心配よ…」
と話しかけてこられました。
郵便受けを見ると、新聞が溜まっています。
心配になりましたが、どうしようもなく、
不在票を入れて、事務所に連絡しました。
翌日、事務所から連絡。
「今ご在宅だから、集金に行って」
よかった、取り越し苦労だったみたい。。。
ホッとして向かうと、お家のシャッターが開いていて、
そこには高齢のご夫婦らしき二人が、散らかった部屋を片付けている様子…
「新聞代の集金に伺いました。」
「あ、2紙目のね。
1紙は止めたんだけど、気がつかなかった。
今月分はお支払いするから、明日から止めて頂戴。」
「あの、、、何かあったんですか?」
「・・・亡くなったのよ。
今主人と片付けてて、もう大変!」
私はお悔やみを申し上げて、立ち去りました。
なんとも切ない思いがこみあげてきました。
先月お伺いした時のご様子を思い出しました。
辺りは暗くなっていて、一度呼び鈴を押したのですが、反応はなく、
やっぱり遅いので、二度目を押すのはためらって、出直すことにしました。
しかし、立ち去ろうとしていたら突然、
インターホンのライトがカッと灯って、辺りを探し回り始めました。
ウィーンという音もして、私はその光線に当たったら、
サーチロボットに捕まって殺されるような気がして、
光の届く範囲を避けるようにして、逃げ帰ったのでした。
その翌朝、決まりの悪い思いで、一番にお伺いしました。
「夕べうちをピンポンしたのはあんた?
あんな遅く(20時近く)に来るなんて常識外れじゃない。」
なんて言われないかビクビクしていましたが、
あっさりと集金。
足が悪いのか、動くのが大変そうに見受けられましたが、
お友達の義理で半年間限定の話も、されることはありませんでした。
シャッターの半分開いた下から、ガレージで過ごしている様子が伺えました。
床はコンクリートで、みかん箱のような台をテーブルにして、電気ストーブ。
会社経営されていたのか、玄関はデザインオフィスのようなキレイな外観なのに、
今は元クンシランだったような鉢植えの鉢が鎮座して、開かないようになっていて、
なぜか、ガレージのシャッターから出入りしているようでした。
日中は、日差しの差し込むガレージを半分開けて、みかん箱に腰掛けて、
誰の指図も受けずに、気ままな年金生活を送っている、という印象でした。
今思うと女性は、具合が悪くても、誰を頼ることもなく、
ひとり自宅でがんばって生活されていたのでしょう。
なけなしの年金なのに、新聞を2紙も取ってしまって、
うんざりしていたことでしょう。
体の具合が悪いので、人への対応もつっけんどんになっていたかもしれません。
このような一人暮らしのお年寄りは、きっと大勢いて、これからも増えるでしょう。
なんで新聞を口座振替にせず、集金がなくならないのか?
ある人にとっては、これが唯一の外界との接点なのかもしれないと思いました。
集金要員としてのあり方を、考えさせられた1日でした。